ふらっとへの手紙 大阪DARC vol.2
2011/09/24
覚せい剤を使い始めたのは、30歳を過ぎた頃です。「仕事するのにええもんあるで」と勤め先の上司に教えてもらったのがきっかけでした。使い続けるうちにコントロールできなくなりました。
でもヘンに真面目なんで、仕事だけは穴を開けたらあかんとがんばるんです。クスリを使って自分をシャキッとさせてバリバリ働く。寝たら朝起きられないからと夜もクスリを使い続けて、幻覚や幻聴がどんどんひどくなりました。とうとう嫁さんに「助けてほしい」と打ち明けました。
驚いた嫁さんはあちこちに相談して、「薬物をやめたい人が集まっているグループがある」と自助グループのNA(※)を探し当ててくれました。「ダルク」を創設した近藤恒夫さんの本も買ってきてくれました。近藤さんも覚せい剤でどうにもならなくなったけど、今はやめていて、施設まで運営してるということが書かれていました。そのことが絶望しきっていたぼくに希望をもたせてくれたんです。そして自分もNAやダルクに行ってみようと思いました。
でも最初の頃は「上から目線」でしたね。ミーティングでみんなの話を聞きながら、「この人らは仕事もせんとここに来てるけど、俺は働いてるんや」とか、他の人と自分との「違い探し」をして優位に立とうとするんです。でも内心は怯えとか何かわかれへん強迫観念に押しつぶされそうになってる。それをひた隠しにして、表向きは偉そうにする。格好ばかりつけて本気で依存症と向き合おうとしない。そんなぼくに愛想をつかして、嫁さんは2人の息子を連れて出て行きました。
後になってわかったんですが、ぼくの場合、まずアルコールで問題がありました。
初めて飲んだのは10歳の時。お正月にワインを1本空けてしまった。親父がアルコール依存で、お酒に寛容な家庭でした。腎不全になった親父のかわりに、中学時代からぼくがお祭りや町内会の寄り合いなんかに出て、打ち上げで出されるビールを飲んでました。
高校時代から毎週ディスコに通い、本格的に飲み始めました。ぼくにとって「大人になる」とは、お酒を飲めるようになることだったんです。
NAやダルクに顔を出すようになってからも、ぼくのなかではアルコールと覚せい剤は別物でした。覚せい剤はやめることができたので、「アルコールは飲んでるけど、クスリは使ってないからええやん」と思ってたんです。でもコントロールできず、生活や人間関係を壊してしまうという意味ではアルコールもクスリも同じなんですね。
ある日、「覚せい剤あるよ」という連絡が入ってきました。ちょうど給料日だったので、すぐ買いに行って使いました。今度こそ上手く使えると思ってたんです。ところが翌日になると、周りの人も空間もすべてが恐ろしいものに感じられてパニック状態に。その時、やっと徹底的にリハビリしようと決心がつきました。
2001年の3月3日にお酒を飲んだのを最後に、今日までお酒を飲んでいません。覚せい剤はその前から使ってません。最初は自分でも無理かなと思ってました。それが3ヶ月を過ぎた頃、フッと楽になったんです。「あれ、今回は何か違う」と思いました。
誰かが肩の上に乗っているものを取ってくれたように感じたんです。そこから本当の意味でのリハビリが始まりました。
今、アルコールやクスリを我慢してやめているという感覚はありません。でも常に再使用の可能性はあるので、リハビリはずっと続きます。自分一人だったらここまでこられませんでしたね。客観的にぼくを見て、思ったことを伝えてくれる仲間に感謝してます。つい先日、半年ぐらいクスリをやめてる仲間の言葉に初心を思い出しました。「やめて当然」みたいになってるのが実は危ないんですよね。仲間の初々しい発言がそれを気づかせてくれた。うれしくて思わず「ハグさせてくれる?」と言ってしまいました。
今は大阪ダルクの外郭団体・Freedomの専従スタッフとして、事務のほか、家族相談にも応じています。かつての自分と重ね合わせながら(笑)。ぼく自身は、元妻とひんぱんにご飯を食べに行ったりしています。元妻が本当の姉妹みたいに仲良くしていたぼくの姉が亡くなり、葬式で再会したんです。手を握って「悪かった」と謝りました。
今も体裁を気にしたりする部分はありますが、生きることはずっと楽になりました。(談)
※NAとはNarcotics Anonymous(ナルコティクス・アノニマス=無名の薬物依存者たち)の略で、12ステップを使った薬物依存者の自助グループのこと。1953年にアメリカで始まって以来、世界50数カ国に広がっている。