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ふらっとへの手紙



ふらっとへの手紙 大阪DARC vol.1

2011/06/02


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ダルク(DARC)は、当事者による薬物依存専門のリハビリテーション施設です。1993年に大阪ダルクがスタートし、わたしは2002年からスタッフとしてかかわっています。シンナーや鎮痛剤、覚せい剤といった薬物依存は再発しやすく、その原因は本人の意志の弱さにされがちです。けれどいったん薬物依存に陥ると、本人の意志だけではどうにもなりません。薬物依存は”病気”なのです。まずは解毒、そして再使用の防止が重要です。

わたしは、13歳の時から約2年、有機溶剤を吸引していました。親が「環境を変えればやめるだろう」と考え、私立の女子校に転校させたのをきっかけに有機溶剤はやめました。しかし今度は夜遊びをするようになり、アルコールを覚えました。やがて咳止め薬を乱用するようになります。看護学校に進んで看護師免許もとったのですが、その時には薬物依存でひどい状態でした。最終的には親に連れられ、精神病院に入院し、そこで自助グループにつながりました。

退院してから26年間、一度もアルコールを飲んだり、薬物を使用せずにきました。「やめ続けることができている」という状態です。わたし自身、今も当事者なのです。
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よく、「なぜ薬物を使い始めたのか」というところから薬物依存を理解したり治療したりしようとされがちなのですが、「原因探し」をしても回復につながらないばかりか、再使用を引き起こします。確かにトラウマティックな経験をした人は少なくありません。けれどそれを人に話すにはとても長い時間がかかります。ある女性は物心がつくかつかないかという年ごろに犯罪に巻き込まれ、目の前で犯人が自殺するという経験をしました。10代後半から精神的に不安定になり、常に幻聴と幻覚に悩まされていました。「気分が悪くてたまらない」という彼女を病院へ連れて行くということが続きました。十数回目に、彼女は「初めて人に話すんだけど」と幻覚について話してくれました。それほど人は自分のことを話すのに時間がかかるということです。

私に幻覚のことを話してくれてから、彼女は気分が悪くなっても病院へは行かず、横になって休むようになりました。彼女は自分の生きづらさを「気分が悪くて吐きそう」という体の症状として表し、人に訴え、巻き込んで迷惑をかけてきました。そういう人は少なくありません。過呼吸や倒れるなど人によってさまざまですが、いずれにしても生きづらさを症状化し、人を巻き込んでトラブルを起こしても得るものはありません。

トラブルが起こると、わたしはその行為をやめてもらうためにサポートするのではなく、「そうしても得るものはないよ」と伝えます。自傷行為があれば、どんな理由があっても退所してもらいます。「ここはそういうことをする場所ではありません。入院してあらためて入所を考えるか、今すぐ出て行ってください」とはっきり言います。 midasi_kurata03.jpg
ダルクでは1日3回ミーティングをします。今までの経験を人前で話し、自分の行動パターンに気づき、認め、自ら変えていくのです。ダルクにいれば、スタッフに守られ、薬物もなく、処方薬も乱用できません。自傷行為をすればすぐ病院に連れていかれます。薬物をやめるにはとてもいい環境ですが、ただいるだけではダメです。薬物を乱用していた時の自分の心や行動について話し、人の話も聞くということを何年も続けるうちに、ふと「ちょっと調子がよくなってきたかな」と思う時がきます。その時、自分の心の傷に気づく人も少なくありません。

「つらい目に遭って大変だったね」と言うのは簡単ですが、わたしは決してそういう話はしません。人が本当の意味で心を癒すには10年20年とかかります。たくさんの人と出会いや別れ、あるいはさまざまなトラブルを乗り越えるという経験を通じて癒されていくのだと思うのです。ダルクは、仲間とつながり、語り合うことを通じて薬物の乱用をやめ、長い時間をかけて自分をいやしていく場です(談)。