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ふらっとへの手紙



ふらっとへの手紙from釜ヶ崎vol.6

2010/10/21


 

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石橋 「むすび」とは、釜ヶ崎に住むおじさんたちが紙芝居劇をするグループの名前です。「むすび」自体は2005年にスタートしましたが、その前に「ごえん」という名前で2年ほど活動をしていました。わたしは「むすび」として再スタートする時に、ココルームの上田假奈代さんに声をかけられ、マネージャーとして参加することになりました。今はココルームから独立し、助成金をとって運営しています。メンバーのほとんどが70歳以上です。

浅田 最初はね、ここ(事務所)にみんなが集まってトランプしたりコーヒー飲んだりしてガヤガヤと遊んでたの。それが、あるNPOの人がフィリピンのストリートチルドレンに手作りの紙芝居を送ろうと言ってきて、みんなで作って送ったの。それがきっかけで、紙芝居を作るだけじゃなく、自分たちでやるようになった。

中井 そのNPOがなくなって「ごえん」も終わろうかという時に、上田さんが「もったいないから続けましょう」と言ってくれて。おれは絵を描くのも大嫌いやったし、やる気はなかった。でもどこかの老人ホームに行った時、「おむすびころりん」をやったら、ひとりのおばあちゃんが「ああ、おむすびころりんという話はこういう話なんだとわかった」と、ボロボロボロボロ泣いたんよ。それ見て、涙流すぐらい喜んでくれはるんやったら、やってもええなあと思った。

浅田 老人の人がほんとに喜んでくれるの。俺の顔見て泣く。ああよかったな、がんばらなくちゃと思うね。俺なんか、まだまだ若いわ。

村川 ぼくが参加したのは、入居しているサポーティブハウスの隣に事務所があって、ちょっとのぞいたら「コーヒーでも飲んでいけ」と誘われたのがきっかけです。自分はまだ54歳なんですけど、ボランティアに興味があったんで、「このわたしでも入れるんですか」と。

石橋 別に年齢制限を設けてるわけじゃないんですけどね(笑)。最高齢の佐野さんは91歳。去年、90歳でデビューしたんよね。

佐野 新米の2番目。失敗ばっかりで、怒られてばっかりや。絵も描くけど。

石橋 体調悪かったのに、みるみる元気になったね。こっちのほうが面白いからって、紙芝居のある日はデイサービスを休みます。

佐野 毎日、朝一番に来とる。

中井 佐野さん、おれを起こしに来るんだもん。時計を見たら、まだ7時や。

浅田 ここでは何でも好きなことをしゃべれるやろ。大きな声も出すし、笑う時は思い切り笑うし。それが一番いい。

菊田 わたしはたまたまサポーティブハウスの職員のかたから紹介されて来るようになりました。保育所や老人ホームで観客のかたが真剣なまなざしでごらんになっているのを見て、がんばってやらせていただかないといけないという気持ちだけです。今さら人間面してふるさとに帰ったりできる立場じゃないですけど、人生終わるまでに、お世話になりっぱなしのみなさんにわずかでもご恩返しできればという気持ちです。毎日、散歩するほかに何もすることがなかったんですが、今はここが生きがいになってます。

石橋 はっきり言って紙芝居は二の次で、こうしてみんなが談笑できる場所としての意味が大きいですね。ただ、紙芝居をやっていれば外の人も来てくれるし、自分たちも出かけていけるから。

わたしは最小限のサポートを心がけています。事務所に顔を出すのは週に2日ぐらい。あとはお金やスケジュールの管理ですね。おじさんたちはみんな生活保護や年金を受給しているので生活費の心配はないのですが、公演はボランタリーベースなので、助成金でいろいろなアーティストとの共演やわたしの人件費、おじさんたちの誕生会などの福利厚生をまかなっています。サポーティブハウスが無料で事務所を貸してくれているので、何とかやっていけてます。

うまく入ってきてくださったかたはよかったけど、何かしたいという気持ちがありながら部屋に閉じこもっている人はいっぱいいると思うんです。せっかく今までがんばって働いてきたのに、最後の最後に孤独になるのは気の毒すぎるから、なんとかそういう人とつながっていきたい。

若い人たちにも、一度は全部なくしたかのように見えたおじさんたちが輝いている姿をみてもらって、希望をもってほしい。おじさんたちだけで完結しても意味がない。いろんな人たちに影響を与えて、生きた輝きをちゃんと残してほしいと思います。(この稿は今回で終わりです)




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