ふらっとへの手紙from釜ヶ崎vol.3
2010/03/18
関東で生まれ育ったわたしが釜ヶ崎にきたのは、大学時代、お世話になっていた先生を通じて假奈代さんと出会ったのがきっかけです。假奈代さんが話す、釜ヶ崎という場所のインパクトやココルームの活動にすごくひっかかりを感じました。 卒業後、企業が障がい者を雇用するためにつくった会社に就職し、障がいのある人と会社との橋渡しのような仕事に就きました。けれども利潤追求が第一という企業の姿勢や、障がい者の人たちがコツコツ働く一方で、経費を湯水のように使う人たちがいることに何ともいえない違和感がありました。 入社1年目の12月に、6日間の有給をとって釜ヶ崎を訪ねました。あいりんセンターにワーッと大勢の人たちがいて、道に人が横たわっていて……見るものすべてが衝撃的でした。経済がガタッと傾いた時期だったので、釜ヶ崎はかなり荒れた雰囲気でした。 2日目の夜にはしんどくてたまらなくなり、帰りたいと強く思いました。目に映るものが圧倒的で、夜も寝つけませんでした。でも世話をしてもらっている假奈代さんに、2日目で「帰りたい」とは言えません。幸い、その夜を乗り越えたら少しずつ楽になって、最終日には帰るのが名残惜しい気持ちでした。 ふだんの生活に戻ってもココルームや釜ヶ崎のまちのことが頭から離れず、考えた末にココルームで働きたいとはっきりと思うようになりました。周りからは「あそこにはヤクザ以上のヤクザがいる」などとさんざん言われました。 不安がなかったわけではありません。給料は3分の1になりましたし。でも実際に生活してみると、物価は安いし、必要なものは回ってくるんです。布団、電子レンジ、冷蔵庫や照明器具も不要品情報のネットワークをもっているお客さんを通じて無料でもらいました。 |
実際に暮らしながらカマメの活動をしていると、最初とは違うしんどさを感じます。ココルームやカマメでは、「お店とお客さん」という関係性を超えた、個人 の考えや関係性のなかで対応することを大事にしています。「名前のあるつきあい」をするので、個人的な話をしてくれる人もいますし、相談を受けて役所の相 談窓口に一緒に行ったりもします。 また、アルコールに依存していたおじさんが、アルコールを控える代わりにわたしやカマメという場に依存するということもあります。「麻以ちゃんやここが 大変だから、手伝う!」と毎日毎日言ってくださることを、重いと感じた時期もありました。人間関係ができるにしたがって適度な距離感や適度な関わりをお互 いにもてるようになり、今はそんなことはないのですが、毎日来て、わたしの手を握って、しゃべって帰ることが習慣になっているおじさんもいます。 でも最近、おじさん同士で仲良くできるようになってきました。「一緒にやるか」と人に声をかけたり、お酒を飲まないで来てくれるようになったり。話を聞い ていると、仕事場やお酒を飲む以外のゆるやかな関係をつくったことがあまりなかったみたいです。50歳や60歳の方が、「初めてこういう友だちができた」 と。仕事仕事で生きてきて、帰る故郷も家族もない。しんどくなるのはよくわかります。 「うちはアートのNPOなので生活相談は受けられません」とか「これはできません」と線をきっちりひけば“楽”かもしれませんが、わたしたちはとにかく話 を聞いて、他の機関を紹介したりできるところはします。ご近所づきあいのようなものです。そういうところからアート的な発想が生まれたりするところがすご く面白いですね。活動の前段階として、人との関係性がとても大事なんだと感じています。(談) << vol.2 井上登さん ●こえとことばとこころの部屋(ココルーム)のHP |