ふらっとへの手紙from吹田vol.2
2010/03/01
私がフェアトレードを始めたのは、1995年にネパールで、 「次は何をやってくれるんだ?」 と現地の人に言われたのがきっかけでした。 その時、私は国際協力関係の社団法人の専従スタッフでした。もともと学生時代から国際交流関係のボランティア活動をしてきて、商社に就職した後、転職。その社団法人はアジアの途上国に井戸を掘り、学校や病院を贈る活動をするボランティア団体で、専従になって数年目でした。 途上国の村の課題を見つけて解決するための方法を探り、必死で寄付金を集め、外務省に補助金を申請し、プログラムを作って遂行してゆく仕事は、やり甲斐がありました。村のリーダーである現地の責任者を見つけ、連絡を取り合いながら進めていく中で、時には彼らが「日本に金持ちの親戚ができた」ような感覚になることもあり、きれいごとでは進みません。「井戸を責任者の親戚の家の庭に掘ってほしい」と言われたり、「息子を留学させたいので、奨学金を融通してくれ」と頼まれたり。公私混同がどこまで許されるか、その折り合いをつけながらプログラムを進めるわけです。 |
「次は何をやってくれるんだ?」と言われたのは、ネパールの小さな村で一つのプロジェクトが終わり、責任者たちとお酒を飲んでいた席でした。当人は何気なく言ったのしょうが、私は「ちょっと待ってよ」と思った。 彼らにしてみたら、私たちは「日本からお金を持ってきてくれる人」でしかなかったのか。井戸を掘る期間中、現地の人たちに仕事が発生し賃金が入るから、 それで良いという意識だったのかとショックで。途上国の人たちが「してくれるのを待つ」というのは本末転倒。私たちの思いと現地の感覚に隔たりがある。途 上国への援助は、本当に必要とする人には届いていないのだ-----と、暗澹たる気持ちになりました。 そんな中で知ったのがフェアトレードで、私は「これだ!」と思ったんです。 援助とは本来、そこに住む人々が自分たちで問題点を見つけ、それを解決する手段を考え、そこで自分たちで解決できない壁(資金不足やマーケットへの知識 不足など)を、外部の人間が手助けして取り除いてあげることでしょう。そのための、一つの有効な手段が、フェアトレードです。 |
い言葉は〈Not Aid,But Trade(援助よりも貿易を)〉。途上国の人たちの作ったものを適正な価格で買い、それを売るビジネスによって、継続的な支援をする形です。19世紀か ら20世紀初頭にかけ、先進国の嗜好品を作るために、先住民が自分たちの食料を作っていた土地にプランテーションを造り、先住民や黒人奴隷を低賃金で働か せたことへの反省から、1960~70年代にヨーロッパで始まり、当時すでにヨーロッパでは消費者運動としてかなりの市民権を得ていました。 ●「NGOフェアトレード・サマサマ」のHP |