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「できる子」だけを評価する指導に疑問

小学4年生の息子が、運動会を間近に控えて登校をしぶり始めました。練習や注意事項が多くなったことが、とても負担なようです。担任は運動会に向けての取り組みのなかで、子どもたちを露骨に差別している様子。たとえば徒競走で1位から3位の子どもを前に並ばせて「よくがんばった」とほめたたえ、遅い子には「真剣に走れ」「誰々は遅い」などと言うらしいのです。
一生懸命努力したことに対する評価がないため、息子は「どんなにがんばってもほめてはくれない」「がんばっても僕はダメなんだ」と言うなど、劣等感を口にするようになりました。
「速く走る子ども」「できる子ども」だけを評価する指導というのは問題だと思うのです。教師の指導によって、伸びる子がいる一方で萎縮し劣等感をもつ子どもがいることを教師に知らせたいのですが、親が訴えても担任の先生や教頭先生は、「そうですね」としか言わず、指導方法は変わりません。

運動が得意な子どもだけがあからさまに評価される、まして苦手な子が運動嫌いになったり、劣等感をもったりする運動会は疑問ですね。「いくらがんばっても」評価されないのはつらいものです。
子どもたちがそれぞれの力を精いっぱい発揮して、友達と競い合う機会は貴重です。しかし、それが運動能力の高い子だけが教師をはじめとする大人たちに評価される場になってしまってはいけません。
運動会の取り組み内容については古くから指摘がされていて、誰もが楽しい場になるような工夫をすることが求められています。友達と力を合わせて走るリレー、ゆっくりと慎重に物を運ぶ競争や一つのいすにどれだけたくさんの子どもが座れるかを競うゲームなど、運動が苦手な子どもも得意な子どもも、もてる力を十分に発揮し認め合う場であると同時に、子どもの育ちを大人が感じとれる場でもあるようにと、運動会のあり方が論議されてきました。
従来の、運動能力重視の運動会で負担を感じている子どもに励ましのことばをかけることももちろん必要ですが、それだけでは問題解決にはなりません。運動会を含む学校生活のなかで、一人ひとりの子どもが自分を大好きだと思える(自尊感情)ようなかかわりが、大人との関係、友達同士の関係を通じて積み上げられているのかどうかを学校側に問いかけてみるのも一つの方法です。運動会に参加するすべての子どもにかかわるテーマですから、個人で求めていくのではなく、保護者会でも提案・検討してはいかがでしょう。