1 在日コリアンとは?
在日コリアンと呼ばれる人たちはどのような人たちなのでしょうか?
日本は1910年に朝鮮を日本の植民地としました。土地調査事業や、産米増殖計画などの植民地政策によって朝鮮人は生活の手段を失い日本への渡航を余儀なくされました。1910年には2,246人だった在日朝鮮人はその後の10年間で10倍以上に増加しました。
日中戦争後の戦時体制のなかで労働力不足を補うため、1939年以降、朝鮮総督府は朝鮮人労務動員計画を実行していきました。当初は募集形式で、次いで「官斡旋」、さらに「徴用」という形で朝鮮人を動員していったのです。これが、いわゆる「朝鮮人強制連行」です。朝鮮人は日本各地で炭鉱労働者、港湾労働者、飛行場や道路・ダム建設などの現場労働者として過酷な労働に従事させられました。その結果、1945年には約240万人とも推測される在日朝鮮人がいました。
日本の敗戦後、朝鮮や台湾など、日本の旧植民地出身者の多くは帰国しましたが、当時の朝鮮半島の政治や経済が不安定だったり、帰国にあたっての財産の持ち出し制限がされたことで帰国をためらう人も少なくありませんでした。さらに朝鮮戦争が始まると、いったん帰国した人であっても再渡日する人も多くありました。このような理由から、戦後約60万人の朝鮮人が日本にとどまることになりました。
1952年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、在日朝鮮人は日本国籍を失い、一律に朝鮮籍とされ外国人登録法の適用を受けることになりました。その後、1965年の日韓法的地位協定によって韓国籍に切り替える者には永住権を認め(協定永住権)ました。1991年には協定永住権者三代目以降の永住権について日韓外相の覚書が交わされ、93年より「特別永住者」が新たに設定されました。それまで協定永住権からは排除されてきた朝鮮籍者も「特別永住者」の対象となり、在日コリアンの在留資格はほぼ一本化されたのです。
今日、「在日コリアン」は、韓国籍・朝鮮籍を含めて約40万人が「特別永住者」として日本社会で生活しています。さらに、「帰化許可申請」をおこない日本国籍を取得する人が年間数千人います。日本国籍者との婚姻により生まれ、出生届けの提出により日本国籍を取得する「ダブル」の人も多数います。国籍だけで誰が在日コリアンであるのかを規定することが難しくなっているのです。しかし、今なお就職差別や住宅入居差別など、生活のさまざまな面での差別は残っています。在日コリアンの歴史性を踏まえた施策が求められています。
*執筆協力:NPO法人 多民族共生人権教育センター