2 日本ではハンセン病にかかった人をなぜ隔離したのですか
どうして、日本ではハンセン病患者を隔離したのですか?
1873年、ノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンがらい菌を発見しました。その後の1897年、ベルリンで開かれた第1回「万国癩会議」(国際らい会議)において、ハンセン病はらい菌による感染症で予防には隔離が有効だと確認されると、出席していた専門家からその情報が日本にもたらされました。それまでは遺伝病とか宗教的な概念で「天刑病」「業病」などとして人びとに知られていました。国は感染症ならば放置しておけないとなりました。
1899年、欧米諸国との通商航海条約が発効して多くの外国人が日本に来るようになると、家を出て放浪しているハンセン病患者の存在は「国の恥」として問題となり、帝国議会でハンセン病対策の議論が始まりました。この頃日本では外国人の宣教師によって療養施設がつくられ、ハンセン病患者の救済をしていただけでした。
放浪するハンセン病患者が外国人の目に映ることは、欧米諸国と対等な関係を築きたい日本にとって「体面を汚す存在」として隔離を考えはじめます。しかし、その頃の日本は日清戦争、続いて日露戦争で経済的負担が重く、自宅でいる患者は隔離せず、街中を放浪したり神社・仏閣に集住している患者のみの隔離をすることにしました。欧米人の目にふれないようにすることを目的に法律を制定して隔離をしたのです。
その後日本が戦時体制に向かうなか、国民は兵隊=戦力と位置付けられていましたから、感染症であるハンセン病にかかり手足や顔などに後遺症を有することは、「国威発揚の妨げになる」とされました。とくに第一次世界大戦を契機に広まった優生思想が大きく影響し、政府は心身ともに優秀な国民の育成を求めたためにハンセン病患者の撲滅を図ろうと隔離政策をしたのです。
*執筆協力:社会福祉法人恩賜財団大阪府済生会 ハンセン病回復者支援センター