人権啓発DVDの紹介
2021/05/18
(8)シリーズ映像でみる人権の歴史 第8巻
ひとと皮革(かわ)の歴史
1.テーマ 部落差別
2.教 材
(1)タイトル
シリーズ映像でみる人権の歴史 第8巻
ひとと皮革(かわ)の歴史 (19分)
(2)制 作
企画・制作 東映株式会社 教育映像部
制作協力 株式会社トライビジョンプロダクト
制作年 2020年
本体価格 66,000円(税抜)
問合わせ先 東映株式会社 関西営業推進室
(3)内 容
プロローグ
幸せそうな何気ない日常やさらにいえば、人間の生までもが数多くの生き物の命の上に成り立っているということを問いかけます。
第1章 肉食の禁止と皮革(かわ)にたずさわる人びとへの差別
まず、ひとの歴史と差別のおこりについて、縄文時代の福井県や香川県の出土物を通して人間が生き物の命の上に、自らの生命を維持してきたことを説明しています。そして次第に肉食禁止令などにより動物の処理に関わる人たちを忌避するようになり、その後、差別される人が作られたと説明しています。また、現代における皮革(かわ)づくりについて屠場で牛の皮を剥ぐ写真を用い、現在も兵庫県姫路市で昔ながらの製法で「ニカワ」の生産をしておられる柏葉さんの工程を説明しています。そして、靴、太鼓、グローブなどの革製品を紹介。また、「最も飾り立てられたもの」として鎧も紹介しています。
第2章 見えない「ニカワ」と日本の文化
あまり馴染みはないものの、実は日常生活の中で大切な役割を果たしている古い製法の「ニカワ」に焦点をあてています。動物や魚の皮や骨などを煮沸してコラーゲンなどを抽出・凝固させる工程の説明と、実際に柏葉さんの手作業による「ニカワ」づくりの様子を映し出しています。その他の例としてはゼラチンなど身近なものから、墨、弓や仏像など日本の文化を支えたものまで、さまざまなところに「ニカワ」が活躍していることを説明しています。
エピローグ―差別にもさようならを―
動物の命を人びとに手渡す仕事をする人たちが差別されてきた現実を改めて直視したとき、その考えを伝えてきたのも「ニカワ」でできた墨で書かれたものであったことに気づいてほしい。そして、その考えを伝えて事実を事実として見ることで差別の呪縛から解き放たれて、人間性を取り戻して生きていくことの必要性をこの作品は提起しています。
3.ねらい
米づくりが盛んになるとともに宗教の影響により、動物の命を奪うことは残酷で穢れていると考えられるようになり、それに携わる人びとが差別されるようになりました。この作品では、貴重な皮革の製造工程を学びながら、「皮革(かわ)」や「ニカワ」から生み出されるさまざまな伝統工芸品や生活用品を知ることにより、いかに皮革が日本の産業や文化を支えてきたかを知ることができます。そして、それを生み出した人びとを尊敬することを通じて、部落差別の愚かさや命の大切さについて理解を深めることができる作品です。
4.話し合いのポイント
①命を手渡す人たちが差別されてきたのはどうしてかについて、話し合ってみましょう。
②「皮革(かわ)」や「ニカワ」がいかに日本の産業や文化を支えてきたのかについて考えてみましょう。
以 上
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【参考資料】
■はりまの革なめし その中心は姫路
播磨地方で古くから製革業が行われていたことは、平安時代末期の法令集「延喜式」の中で確認できますが、その産地が播磨のどこであったかは現在のところ解明されていません。しかし中世以降では、その生産の中心地は姫路地区であったと考えてよさそうです。その頃「播磨の革工能く(よく)熟皮(なめしがわ)を物し(ものし)その品争いて当時の武士に求められる」といわれました。姫路の高木地区はその生産の中心地であって、白鞣革(しろなめしがわ)を産出していました。これは原料の皮を川水に漬け、毛根部に発生するバクテリアの酵素の力で脱毛し、塩と菜種油を用いつつ揉み上げ、天日に晒して薄乳白色の革に仕上げるもので、この技法は江戸中期には完成していたものと察せられます。姫路はわが国の皮革のふるさととして著名です。その発祥の地が、市川の上流約10kmのところにある高木地区です。この地でなぜ古くから皮なめしが行われてきたのか、という理由ははっきりしていませんが、以下のことが考えられます。
・皮なめしをするのにふさわしい市川という穏やかな流水と、広い河原があった。
・西日本では多くの牛が飼われていたので、原料である牛皮の集荷が容易であった。
・瀬戸内海気候の特徴として、比較的温暖で雨も少なめの土地で、天日に干す革晒しに好都合であった。
・皮の保存や処理に必要な塩の入手も容易であった。
・大阪・京都など政治・経済・消費の中心地と近い関係にあった。
こうして皮革産業としての地域の育成が、藩の政策としても強く行われたようです。