KONISHIKI 2004年12月に大好きな妹が亡くなった。悲しくて、どれだけ泣いたか。寂しくならないように、仕事をバンバン入れて気を紛らわせたよ。だから今まで以上に、自分が儲けることよりも人に与えることや時間が大事だと感じる。いつ死んでも納得できるような生き方をしたいんだ。
谷川 ぼくも「西成や被差別部落の環境を改善して、差別や偏見をなくしたい」という気持ちを子どもの頃からもっていました。安定した仕事をといったんは公務員になったけど、 最終的には公務員を辞めて運動に専念する道を選んだ。それはやっぱり自分の生まれ育ったまちが好きだし、自分たちでまちを変えていこうという部落解放運動が好きだから。現実は厳しくて、まちも人もなかなか変えられない。ますます厳しくなっている部分もある。それでも「よりよくしたい」と思うし、そのために自分の力を尽くしたい。こういう道を選んだのを後悔したことは一度もない。
KONISHIKI ぼくが子どもだった30年前と比べてもまだ何も変わっていないんだから、道のりは遠いよ。ぼくも谷川さんも、自分たちの力でどこまで進めるかというだけだよね。
ぼく自身の大きな目標は、基金を集めて地域にコミュニティーセンターをつくること。小学生から高校生まで1万人以上いるのに、小さなコミュニティーセンターしかなくて、子どもたちは放課後の居場所がないの。隣町には大きなビルのコミュニティーセンターがあるんだけどね。だから学校が終わる午後2時から夕食までの6時の間に泥棒やケンカといった事件が起きるんだ。
コミュニティーセンターには相撲のミュージアムやコンピュータールームをつくる。地域にはフィリピンや中国から移住してきたお年寄りも多いから、子どもたちに生きてきた歴史を伝えてもらう場もつくりたい。子どもたちが2時から6時まで楽しんだり学んだりできる場所にしたいんだ。
谷川 さまざまなものと子どもたちとを結ぶセンター…面白いね。ぼくの夢も、まちを変えること。具体的には、まずまち全体で「子どもたちの教育が大事」という価値観をつくりあげたい。学歴第一という意味ではなく、人間として生まれてきた以上、自分らしく生きる力を身につけてほしい。そのための基礎が学力だと思うから。
すべての子どもたちに自分らしく生きる権利を保障していけるようなネットワークもつくっていきたい。日本では施設などのハード面は整ってきたから、これからは人やネットワークがキーポイントかな。
KONISHIKI 中身だね。設備が整っている日本がうらやましいよ、ほんとに。
谷川 でも施設があっても魂がないとダメ。今はその魂がないところがあるから。ぼくらの仕事は熱いハートをもった人たちをしっかりつなぎ合わせることじゃないかな。ぼくは「孤立させない」をキーワードに、保育所や小中学校や病院などが連携して子どもを見守る「わが町にしなり子育てネット」という活動をしています。タイのスラムで活動しているグループとも交流しているし、さらに積極的に活動していこうと「子育て運動“えん”」というNPO法人もつくりました。
KONISHIKI 同じ思いをもって支え合える仲間は大事だよね。
谷川 ひとりでできることは限られてるけど、ぼくとKONISHIKIさんが友達になれば、やれることは2倍、3倍に広がりますよね。
KONISHIKI そうそう。誰の紹介とか形式とか、ぼくはどうでもいい。子どもたちが好きで、自分がやりたいからやっているだけ。ぼくで役に立つことがあるなら喜んで行くよ。
谷川 ぜひ、西成にも来てほしいな。困難に直面している子どもや親を支援することは不可欠。それに加えて、差別や貧困そのものをなくすためには、差別や貧困を乗り越えたり、なくそうと行動する人を育んでいくことも重要だと思う。簡単なことじゃないけど、子どもたちには可能性がある。お互い、夢に向かってがんばりましょう。
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