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松本哉さん 貧乏で豊かな人生を生きる
 


 東京都杉並区高円寺―ここが松本哉さん(35歳)の“本拠地”である。駅のロータリーから何本も細い路地のような商店街が延びている。アーケードのない商店街は昔ながらの八百屋に肉屋、洋品店と、アジア雑貨や古着の店、エスニック料理店が入り混じる。コロッケを揚げる匂いが漂う、いかにも暮らしやすそうなこのまちでリサイクルショップ「素人の乱」を経営している。

機会、ひと、出会い。教室に出向いてきっかけづくり。

──育ったのは東京都江東区で、新宿に住んでいた松本さんが、なぜ高円寺に根を下ろしたんですか?

 あきらかに儲からないことをやってる人がいっぱいいるんですよ。「誰も来ないよ」という店とか、まちで普通にパフォーマンスや音楽をやってる人がいて、みんなが勝手にやりたいことをやってる感じがすごくいい。金とつながっていない文化がたくさんあって、それがすごく面白いなと思ったんです。

素人の乱5号店 大学時代は新宿の大久保に住んでいたんですけど、ほんとに(文化が)何もない。何かやったらすぐ警察につかまったりする。それが年々ひどくなって、駅の待合室ですらなくなるし、ベンチには仕切りがつけられて横になることもできない。たまり場がないようなまちづくりをするんですよね。ああいう、見栄えと効率重視だけのまちづくりって何かつまらない。結局、まちの居心地が悪いから、みんなスターバックスとかマクドナルドに入るわけじゃないですか。それはちょっと嫌だなと。

──何か“誘導”されているみたいですよね(笑)

 そうそう。家に帰ってテレビをつけたら、「あれが流行ってる」「これがあれば便利」と、消費とつながった番組ばっかり。それで最後にアコムのコマーシャルが出てくる。借りるしかないじゃないですか(笑)。そのサイクルに腹が立ってしょうがない。

松本さんの活動は、法政大学時代から始まる。学内の活気に惹かれて一浪の末、夜間部に入学。直後に、キャンパスの再開発をめぐって学生と大学が衝突、大乱闘の末に校舎の取り壊しが延期になった。力関係では劣るはずの学生が、大学の言い分をひっくり返す。その様子を目の当たりにした松本さんは、大きな衝撃を受け、同時に「これはもう学生運動をやるしかない」と思った。

 高校生ともなると、そろそろ将来のことも考える時期ですけど、世の中を見ると、すごくつまんなさそうなんですよ。一般に、いい学校に行っていい会社に就職して安定した収入を得る、そして結婚して家を持つというのが「いい」とされているじゃないですか。でも全然面白くないですよね。もちろんそのなかで面白いことや抜け道もあるだろうけど、適当で無難な人生のなかで少し面白いことを見つけてやるというのもつまんないなぁと思ってました。
 東京とはいっても下町は田舎と同じ。情報は入ってこないし、結婚が早い。だいたいルートが決まっていて、違う文化に接する機会が少なかった。かといって、大学へ行って就職して……という道もすごく嫌だなと思っていたから、大学に入った瞬間に「とんでもないやつ」がいっぱいいるのにビックリしましたね。それを見たときに「ああ、勝手にやっていいんだ」と思った。それがすごい大きかったです。

──実際に学生運動に関わってみて、どうでしたか?

 出会いが衝撃的だったんで最初は面白かったんですけど、ちょっと慣れると全然面白くなかった。言葉もしゃべり方もビラも、すべてのセンスが昔のまま。下手すりゃ服装までおかしい(笑)。普通に生活してる学生とのギャップがどんどん激しくなってきて、支持率は下がりっぱなし。これはちょっと違うなと。

──具体的にどんなところが“昔のセンス”だったんですか?

 演説すれば自分たちの言いたいことを一方的に言うだけだし、ビラはタイトルの下に文字がズラーッとあって、やたら押しつけがましいことが書いてある。正しいかどうかは別に、面白いかどうかって大事だと思うんです。そういう視点が全然ないところに違和感をもちました。ヘンにこれまでの運動のやり方を踏襲してもつまらないからやりたくないなと。ぼくは旅行やバイク、音楽を聴くのが好きだし、いろんなくだらないことをやるのも好き。そうやって自分が普通に生きてるセンスで言いたいことを言うのが一番合ってるんじゃないかと思って、「くだらなさ」を重視したセンスで活動を始めました。

貧乏くささは、人間くささ

 大学3年で野宿同好会を引退した後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成する。「学食値上げ反対闘争」では、3人のメンバーで3千枚のビラを学内に貼りまくり、集会にはヤジ馬も含めて100人以上の学生が集まって大騒ぎになった。学食の前でカレーをつくって売る「カレー闘争」、キャンパスにこたつを出して宴会をする「こたつ闘争」、ちゃぶ台を出して鍋を食べる「鍋闘争」……次々に打ち出される闘争の「くだらなさ」に支持と注目が集まり、他大学でも次々に「貧乏くささを守る会」が結成された。

──「貧乏くささを守る会」の全国組織として「全日本貧乏学生総連合」を作り、「貧乏人新聞」を発行してと、松本さんの活動には常に「貧乏」というキーワードがついて回るんですが、あえて「貧乏くささ」を前面に出すのはなぜですか?

素人の乱の看板 「貧乏くささ」って、「人間くささ」と同じ意味だと思うんですね。当時、大学がどんどんキレイな校舎に建て替えて、ビラとか看板とかゴミをなくしていこうという動きがあったんです。キレイになればパッと見はいいかもしれないけど、人間味がなくなってすごい無機質な空間になるじゃないですか。見栄えだけの問題で、中身が全然伴っていない。これは面白くないんじゃないかと思って。
 その頃、中国や東南アジアの国々を野宿しながら回ったんですよ。そしたら、物はないし、服はボロボロで、ほんとに貧乏くさい。でもみんな、すっごい楽しそうににぎやかにやってるんですよ。今の日本にはないものがいっぱいあった。その経験も踏まえて、「貧乏くさくてもいいから好き勝手やったほうがいいんじゃないか」とあえて言ってるというか。キレイにしようとする動きに対する嫌がらせの意味も含めて(笑)、貧乏くささを強調したいんです。

──「人間くささ」と言われると、よくわかります。ところで、松本さんの思春期って、どんな感じだったんですか?

 両親はともに「ヘンなしがらみや常識にとらわれるな」という考え方でしたね。だからぼくはいわゆる一般常識って全然知らないんです。たとえば今は日本中の人と知り合う機会があるんだけど、そしたら「お雑煮に何が入っていた」とかいう話になるじゃないですか。でもぼくの家は正月もパンと目玉焼きとコーヒーだった。「こういうときはこうしなきゃダメ」とか「みんなと同じにしなさい」とか、言われたことがない。だから反抗期になると、それが腹立つわけですよ。「なんで俺だけ常識を知らないんだ、どういう教育なんだ、ふざけやがって」と、右翼になるんじゃないかというぐらいの勢いで(笑)。親が押しつける常識に反発するのが普通の思春期だけど、ぼくの場合は「やっぱり常識が大事だ」と、普通とは逆の思春期だった。高校に入ってから落ち着きましたけどね。

──著書(『貧乏人大反乱』)では、育ったまちも自分の家も貧しかったと書かれていますが……。

 中学までは自分が住んでいる地域しか知らなかったから、貧乏という実感はなかったですね。中流だと思ってた。テレビドラマできれいな家が出てきても、「こんなキレイな家はないだろう」と。高校生になって新宿あたりに出るようになると、ほんとにキレイな家があるからビックリしましたよ。「もしかしたらうちは貧乏なんじゃないか」と、そこで初めて気付いた(笑)。

競争社会の価値観だけしかない世界は異常だ

──モテたいと思ったことはありますか?

 そりゃあ思春期の頃はモテたかったですけど、大人になるにつれて意識しなくなりました。たとえば会社勤めをしていたら、人からどう見られるかとか、モテるかモテないかって、すごく大きな問題だと思うんですよ。でも勝手なことをやってて、同じような価値観の友だちがたくさんいれば、よっぽど性格が曲がってないかぎり全然モテないということはないんじゃないかな。ぼくに言わせると、今の、いわゆる競争社会のほうが異常で、普通の人がそこでがんばること自体に無理がある。結局、年収がいくらあるとか、しょうもない仕事をバリバリやるとかいうのがモテる基準になるわけでしょう。ぼくはそんなところでモテることには興味ないというか。金でつながった人間関係でしかないわけだから。
 今は競争社会が基準になったひとつの価値観しかない。幅が狭いから、当然「モテない」と悩む人も多くなりますよね。いろんなカルチャーがあれば、無理をしなくてもいい出会いがあると思う。

──松本さんは競争社会のなかで闘うよりも、競争社会から離れることを選んだわけですが、その生き方は楽ですか?

松本哉さん 楽ですね。悩みがひとつもないですからね。かといって全員が競争社会から離れられるわけじゃない。苛酷な労働現場に残った人たちは闘わないといけないけど、向いてないのに無理をしたり、背水の陣を敷いて悲壮な覚悟でがんばってもあまり意味がないと思うんです。逃げ場を確保して、いつでも逃げられるようにしておいたほうがいい。
 楽といっても、スタッフもぼくと同じで、みんな勝手なことをするから大変は大変です(笑)。効率を考えれば「おまえは採算合わないからクビ」ってなっちゃうけど、そういう人たちも含めてひとつの店だと考えれば、まあいいかと。

──もめることはありますか?

 もちろん、ありますよ。感情的になって「なんだ、この野郎」とか。でももめごとを経験するなかで、自分も反省するじゃないですか。もめた経験がたくさんあれば、もめそうな空気になったとき「これ以上やったらまずいぞ」と自分のなかで線引きができたり、付き合い方がわかったりする。反省することもしょっちゅうあるけど、もめないために自分を抑えたりはしませんね。悪かったと思えば謝ればいい。どんどんもめるほうがいいですよ。

若いうちしかやれないことなんて意味がない

──今の生き方は、松本さんにとっては“運動”なんですか?

 ぼくは“運動”じゃないと思います。“運動”って、社会に働きかけることじゃないですか。でもぼくらの生き方は、社会に何か言うための営みじゃないですからね。やっていることが競争社会の基準とは違うだけで。社会に何か言うためにやったら、それはパフォーマンスですもんね。でも「そういう生き方はやめろ」と(国などの)権力に言われたら、そこで“運動”になる気がする。「何が悪いんだ」と。

──松本さんの生き方はユニークで楽しそうだし、共感する人も増えています。でも競争社会、消費社会そのものが大きく変わることはないのかなとちょっと悲観的になってしまうんですけど。

 確かに、一緒にやってきた仲間が就職したりすると、「参ったな」と思います。いろんな条件をプラスマイナスで考えたとき、企業に就職するという「普通の生き方」をしたほうが安定を得られると判断したわけですから。でも、お金があることより、金のつながりじゃない人間関係がいっぱいあるほうが安定すると思うんですけどね。友だちのいない人がお金によって安定を求めるわけで、仲間がちゃんといればお金を貯める必要はないと思います。日本の経済はもっと悪くなったほうがいい。経済的に世界の三流国ぐらいになったら やっと何が正しいかが見えてくる気がする。
 最近、スタッフのなかで結婚して子どもが生まれたりしてるんです。子どもが生まれて一人前になるまで続けられたら、自分のやってることは本物だと思っているので、これからが正念場ですね。一人でしかできないとか、若いうちしかできないことなんて、あまり意味がない。遊んでるだけになっちゃうでしょう。そのへんを全部クリアしていけば、本物になる。だからうちでバイトしてる人が結婚して子どもができて、どう育つのかがすごい大事だと思ってます。
 でも自分の価値観を受け継いでほしいとは思わないです。いろいろな選択ができるような環境をいかに与えられるかですよね。そのうえで消費文化を選ぶならしょうがない。耳元で「こっちのほうがいいよ」とずっと言い続けると思うけど(笑)。

──子どもたちがどう育っていくのか、楽しみですね。ありがとうございました。

(取材:2009年4月) 

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まつもと はじめ
1974年東京都生まれ。法政大学在学中に「法政の貧乏くささを守る会」を結成したのを皮切りに、「全日本貧乏学生総連合」「貧乏人大反乱集団」などさまざまなグループを結成しては独自の「くだらなくて笑える」デモを行なう。東京都杉並区高円寺でリサイクルショップ「素人の乱」を経営する。著書に『貧乏人大反乱 生きにくい世の中と楽しく闘う方法』(アスペクト)、『貧乏人の逆襲! タダで生きる方法』(筑摩書房)など。

「素人の乱」のウェブサイト


『貧乏人大反乱』
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『貧乏人の逆襲』
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