――日本で「子どもの虐待」という言葉を聞くようになったのは、最近の気がしますが。
ここ10年ほどでしょうか。1980年代にその胎動はありましたが、実際の取り組みが行われるようになったのは1990年代からです。1990年に民間ネットワークの第1号として児童虐待防止協会(大阪)が、翌91年に第2号として子どもの虐待防止センター(東京)が設立されたのを契機に、社会的に認知されるようになってきました。児童相談所で虐待に関する上記データがとられるようになったのも1990年度からで、子どもの虐待を取り巻く社会的な動きはアメリカより30年遅れているといえます。
ネグレクトのとらえ方、日米に大きな違い
――アメリカと日本。子どもの虐待に関する考え方に違いはありますか。
大いにあります。極端に言うと、アメリカでは「子どもは社会のもの」と考えられているため、社会が虐待に積極的に対応する。しかし、日本では「子どもは親のもの」といった考えが根強く、他人の家庭には口出ししない風潮がある。
また、誘拐件数が多い、アルコール依存症やホームレスの率が高いなど、アメリカの社会病理が日本より進んでいることを背景に、とりわけネグレクトに関する考え方に違いがあります。たとえば、スーパーマーケットの前にベビーカーに乗せた赤ちゃんを数分間放置しておいても日本では問題視されませんが、アメリカではネグレクトとして親が逮捕される。幼児だけで留守番をしている間に火事が起きると、日本では「不幸な事件」とすませますが、アメリカではネグレクトとして親が逮捕されます。
日本のデータ上の虐待件数がアメリカより少ないといっても、そういったネグレクトのとらえ方を拡大させ、子ども人口の差を考え合わせると、日本とアメリカの虐待件数が決定的に違うとはいえないと私は思う。「親が行う、子どもにとって怖い行為」が、子どもの虐待に当たるのですから。
――日本もネグレクトに敏感になる方がいいということでしょうか。
ある意味、そうですね。児童相談所の記録に、「養育の欠如」「養護困難」などと書かれているケースでも、子どもとゆっくり面談すると「夜、家に父母のいなくて怖かった」という話が出てくる。大人に守られていない状況が慢性的に続くと、子どもは大人に対する不信感や世の中に対する恐怖感を持つことになる。これはネグレクトであり、明らかな虐待です。ところが、日本では専門家ですら虐待に関する考え方を持てていないケースが多いのが実情です。
――虐待の相談窓口についての日米の差は?
アメリカでは、虐待の問題が出てきた1960年代に「これは大きな社会問題だ」といち早く気づき、既存の社会福祉課以外に、先述したとおり、子どもの虐待の通報を受けて活動する専門のCPSを新たに設置しました。ところが、日本では90年代に虐待問題が潜在化してからも専門の機関を設けず、既存の児童相談所が扱う範囲内として現在に至っています。その差は大きいですね。
私が1985年にサンフランシスコ州立大学に留学した時、大学のカリキュラムの中にすでに“child abuse”があり、カウンセラーを養成するトレーニングプログラムも虐待が中心に組まれていました。虐待の取り組みが30年遅れている日本では、残念ながら未だにそういったプログラムが十分とはいえません。
「疑わしき」も、まず通報を
――そのような現状の日本の中で、私たちが「虐待が行われているのでは?」と疑った時、どうすればいいのでしょうか。
児童相談所に通報することです。匿名でもいいので、ともかく電話を。何らかの調査が始まり、虐待されている子どもたちを助けることにつながります。
気をつけなければならないのは、子ども当人に「このケガはどうしたの? お母さんに叩かれたのでは?」などと聞いてはいけないこと。逆効果になりかねません。子どもには、普段から「何かしんどいことがあれば、話を聞いてあげるからね」というメッセージを送ってやるのがいい。自分のことを気にかけてくれる大人の存在は、子どもにとって励みになるはずです。
――では最後に、今、虐待の渦中で、苦しんでいる子どもにメッセージをください。
あなたが悪いのではない。お父さんやお母さんが苦しんでいて、その結果、間違ってあなたに暴力をふるってしまっているのだ。お父さんやお母さんに助けが必要なんだ――。そう伝えたいですね。