大阪府健康福祉部精神保健福祉課主査の上野千佳さんによれば、大和川病院事件後、大阪府の精神保健福祉施策を検討する精神保健福祉審議会の中で、「長期の社会的入院は人権侵害であり、精神病院の中にしか生活の場を確保してこなかった施策のあり方に起因すると明記された」という。
つまり、それまでは病院側の問題とされた長期の社会的入院が、病院でしか生きていけないような施策を組んできた行政に責任があるとされたのだ。その結果、行政施策として新しく立ち上げられたのが、これまでさまざまな理由で退院できなかった人たちの自立支援を、保健所や社会復帰施設などの地域のネットワークで行おうという「退院促進支援事業(平成12年度)」である。それまでに国でも長期入院の問題ついては検討されてきたが、具体的な施策としてのスタートは、大阪が先行する形となった。
この事業で、まず最初に行われたのが「自立支援員」の雇用だ。長期間入院していた人は、仮に退院が決定しても、退院後の生活に不安をもつ人が多いのが現実である。そこで、この自立支援員が退院する人にマンツーマンでついて、地域の暮らしに慣れて、実際に退院できるようになるまで相談相手になってもらおうというものである。自立支援員は、精神保健福祉士同等程度の知識を持つ人が対象となっているが、実際には、非常勤やボランティアで地域の作業所を手伝っている人など地域の福祉関係者が研修を受けて従事している。
上野さんは「これまで病院側でも退院にあたっては自立支援のサポートが行われてきましたが、退院に関わる職員の不足などもあって、スムーズにいかない場合もあったようです」と話す。
「退院を阻害する本人の要因としては、退院する自信がない、退院後の生活のイメージがまったくつかめないことなど。家族の要因としては、家族が退院を反対していたり、家族がいなくて帰る家がないなど。現実に『頼むから一生病院に置いてくだしい』という患者さんもいらっしゃる。この支援事業は、そういう人たちに安心して地域に帰ってもらうために、時間をかけて退院した後の生活をイメージをして、退院する気持ちになってもらえるように人手をしっかり使ってやっていこうというものなんです」
具体的には、自立支援員がマンツーマンでついて、丸1日一緒に行動するスタイルだ。まず病棟での関係づくりからスタートして、近所のスーパーで買物をしたり、喫茶店でお茶を飲んだりなど、本人が希望する場所へ一緒に外出する方向へ。徐々に慣れてきたら地域の社会復帰施設(地域生活支援センター、小規模通所授産施設など)を見学に行き、その中で気に入った所があれば、通所を開始してみる。最初は自立支援員も一緒に行って共に過ごして一緒に帰り、慣れてきたら施設で待ち合わせをしてみる。さらに慣れてきたら、本人は一人で通い、支援員が合間に様子を見に行くといった感じに移行していく。そして、施設で本人がスタッフに相談できるようになったり、友だちができたりすれば、退院後もそこに通える段取りをしてから退院の運びとなるわけだ。一方で、退院後の家探しやグループホームの調整などは、自立支援員を中心に関係機関が協力しあって動く仕組みになっている。
「私たちがもっとも良かったと思うのは、自立支援員の専門家ではない良さ。患者さんにとって病院で周りにいるのは、医師や看護士など専門家ばかりです。そこへ地域に普通に住む方たちが、お友だち感覚や近所づきあい感覚で訪ねてきてくれることで、医師などには言いにくい悩みごとも話せる。患者さんと同じ目の高さ、横並びの関係で活動できることなんです」
また、この事業について、あまり理解を示さない人たちには、口頭での説明は難しいため、事業の内容や社会復帰施設の紹介、実際に退院した人が地域に帰って具体的にどんな生活をしているかをビデオに収めて見てもらったり、茶話会形式にして院内説明会を開くなどいろいろな取り組みも行われている。
「長期入院の人にはそれなりに理由があって、主治医から退院を勧められても、すぐに納得してもらえない人もいます。そういう人には他にどういったオプションが必要なのか、現在ある通所以外にどんな施設が必要なのか、個々のサービスはもちろん、そこから波及して地域全体の社会復帰施設を整えていったり、連携を結んでいったりするノウハウが関係者みんなの中に根づいていく効果があったと思います」と上野さんは話す。
その一方で、14年度からは精神障害者居宅生活支援事業としてホームヘルプサービスやショート・ステイサービスなども実施されるようになった。退院促進支援事業で退院が決まっても、長期間入院していた人が退院後すぐにゴミの分別から掃除、買物まですべてを行うのが無理な場合など、利用できるわけである。退院促進支援事業の昨年の対象者は44人、そのうち1年間で退院できた人が20人。最長で4年間かかった人もいたが、平均は10カ月。これまで利用した人の半数が退院に至っている。
うつ病で入院していた60代の主婦Aさんも、その一人だ。夫が早くに亡くなったため、仕事をもち、子どもを育ててきたAさん。発症時には子どもたちはすでに独立し一人暮らしで、約1年の入院だった。病院側のもう通院だけで大丈夫という判断から本人に退院の話を持ち出したところ、自信がないということから、この事業が使われることになった。
「この方の場合、退院することに家族の反対もなく、持ち家で帰る家もありました。でも、本人が一人で暮らす自信がなく、子どもにもそれぞれの生活があるので迷惑をかけたくないとのこと。了解をいただいて自立支援員と保健所の職員が一緒に行って事業の説明をし、だいたいの計画を立てました」
ところが、自立支援員が病院に出向き、いろいろな話をしながら外出をしかけてみたが、やはり自信をもてず、早い段階で辞めたいという申し出が。関係者で話し合い、主治医から「ここで辞めると、ずっと退院できなくなるから」と再度勧められ、まず支援員が話し相手だけでもさせてほしいと再スタート。その後、徐々に慣れていき、外出で家に帰る時には一緒に行かせてもらい、共に掃除をしたりご飯を作って食べたりしているうちに、次第に退院への自信がついていったそうだ。退院後の暮らしについては、事前に地域の作業所へ見学には行ったものの毎日通うのは年齢的に億劫であり、ヘルパーさんを頼むほどでもないということから、保健師が月に1回程度、様子を見に通うことに。また、支援センターで1日1食の宅配弁当サービスを利用して、届けたスタッフに声かけしてもらうことで落ち着いた。事業を導入して1年あまりかかったケースだが、Aさんの退院後の生活は順調なようである。
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■大阪府退院促進事業のパンフレット
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長期入院者の退院については、病院の努力だけではどうしても難しい点が多かったため、この事業への評価はかなり高いようだ。
「やはり、人手があることが大きいです。本人についても病院の中で見ている姿と比べ、外に出てみると予想以上の生活力をもっておられるなど全然違う面やプラス部分が見えるようになる。そうすると、他の患者さんも退院ということを念頭においた働きかけができるようになるんです。今まで病棟で口も利かなかった人が、自立支援員さんが来るとなると着替えて待ち、出かけて帰れば詰め所にただいまと声をかけたり、出先であったことを話したりと会話ができるようになったという話も聞いています」
いい結果が出ていることから、退院促進支援事業は平成15年には国事業化へ。大阪府では、この事業の15〜19年の5年間の目標を950人(大阪市をのぞく大阪府下13年度在院患者調査で病状的に緩解、院内緩解の人数)とし、そのうち事業を使う対象者を380人、1年間の目標を95人としている。上野さんは「今後は病院関係スタッフ、及び本人にいかにこの事業の内容を知ってもらうかが課題」と話している。
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