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舞台の上で差別を怒り、笑い飛ばす ひとり芝居『身世打鈴』

2005/09/22


舞台の上で差別を怒り、笑い飛ばす 新屋英子さん

2005年4月24日午後。大阪市の中心部にある中之島公会堂大ホールの客席は、開場と同時に埋まった。華やかなチマ・チョゴリ姿の女性たちが行き交う。第一部の朝鮮の伝統舞踊や歌が終わり、再び幕があがると、そこは大阪環状線の高架下。在日朝鮮人のオモニ、申英淑が細々と営む廃品回収業の“店先”だった。
第一声の「アイゴ」にドッと沸く。そして拾い集めた段ボール箱をつぶしながら身の上話(身世打鈴・シンセタリョン)が問わず語りで始まる。すでに申英淑への温かい眼差しが会場に満ち満ちていた。多くの在日韓国・朝鮮人が集まったこの日の演目は、日本人女優・新屋英子のひとり芝居『身世打鈴』2000回記念公演である。

筋金入りの軍国少女だった

1973年の初演以来、在日一世の朝鮮人女性が生きてきた激動の半生を一人語りという形で演じ続けてきた。その根本には強い反戦の思いがある。しかしかつては神風を信じる軍国少女だった。

小学校までは戦争を身近に感じることはなかったんですけど、女学校に入った頃から戦争の匂いがしてきました。英語の授業は廃止され、3年生からは学徒動員でまったく勉強ができなくなりました。兵隊さんが着るラシャ(厚地の毛織物)のごっつい外套を動力ミシンで縫うんです。動力ミシンなんか使ったことないから怖かったですよ。ガーッと指まで縫っても簡単には止められないんです。徹夜で救命具を作ったこともありました。綿埃がひどくて結核になりましたが、「お国のために」「兵隊さんのために」と一生懸命でした。
姉の友達が軍属として大阪城にあった陸軍師団司令部で働いてましてね。男性しか入れないはずの軍隊で女の人が働いてると知ってうらやましくて。試験に合格したら入れると聞いて、女学校を繰り上げ卒業した年に試験を受けたんです。合格して下士官待遇の女子軍属として配属された時は鼻高々でした。下士官待遇というのは、将校以上には敬礼しなくてはいけないんですが、兵隊には敬礼しなくてもいいんです。女である自分が16歳で下士官待遇、上の兄は陸軍航空少尉、わたしはいつの間にか妙な優越意識をもっていました。

しかし日本は敗戦への道を確実に進んでいた。1945年、大阪は次々と空襲に見舞われる。3月の大空襲では難を逃れたが、6月の空襲で自宅は焼失した。幸いにも家族は無事だった。そして終戦。神風が吹くことを心底信じていた新屋さんは、戦争に負けたと知って「そんなアホなことはない」と号泣した。けれども昨日まで「鬼畜米英!」と叫んでいたおとなたちが「これからは民主主義の世の中だ」と言い始める。ずっと国民に隠されていた事実を知り、軍国教育というマインドコントロールが解けた新屋さんは、以来「自分の目で見て考える」をモットーにしてきた。