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2015/05/08


(3)1980年の人権運動の記録遺産―1980年5月18日の光州民主化運動の記録

 

1.名 称 1980年の人権運動の記録遺産―1980年5月18日の光州民主化運動の記録

Human Rights Documentary Heritage 1980 Archives foy the May

 18th Democratic Uprising against Military Regime,in Gwangju, Republic of Korea 写真(ユネスコ ウェブサイト 英語)

2.登録国 大韓民国

 

3.登録年 2011年

 

4.解 説

1980年5月18日から27日の10日間にかけて韓国の光州で発生した民主化運動に関する内容が、文書、出版物、写真などの形で記録されています。

前年の1979年当時大韓民国では、1961年より軍事クーデターにより政権の座についていた朴正煕大統領が、側近の大韓民国中央諜報部(KCIA)部長の金載圭に暗殺され、その数週間後、全斗煥陸軍少将率いる軍将校らが粛軍クーデターを起し権力を掌握しました。その後軍は、憲兵組織と情報機関を基盤に独裁を強化し、1980年民主政治の実現を願う全国から集まった学生や労働組合員たちの抗議デモに対し、5月17日、政府は戒厳令を敷き、南部の工業都市、光州に特別部隊を送り込みました。翌18日から10日間、さらに多くの人々がデモに参加し、学生や市民たちと軍部隊との衝突は続きましたが、10日目の5月27日早朝、増強された軍部隊が再び光州市内に入り、市民を武力で制圧しました。10日間におよぶ事件の間に、光州内外165人の市民が死亡、76人が行方不明、3,383人が負傷し、1,476人が逮捕されました。さらに102人が包囲の間に負った怪我がもとで死んでいます。

そして、当時「光州事態」と呼ばれていたこの事件は、のちに政府の禁止にもかかわらず遺族の抗議デモがますます支持を集め、1987年に直接選挙制の復活をめぐって頂点に達し、1989年当時の盧泰愚大統領の提案により、「光州事態」の名称は正式に「5.18光州民主化運動」と呼び改められることになりました。

ちなみに当時、民主化運動の第一人者だった金大中は決起の直前に逮捕され一度は死刑判決が下りましたが、国際的な圧力を受けて、後に刑の執行は延期されました。その後彼は、1998年に大統領となり、2000年にはノーベル平和賞を受賞しています。

また5.18光州民主化運動は、韓国における民主化と人権問題の大きな転機になっただけでなく、東アジア諸国にも影響をおよぼし、冷戦の構造にほころびをもたらす一因にもなった事件でありました。

以 上