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2015/05/08


(2)アンネ・フランクの日記  

 

1.名 称 アンネ・フランクの日記

Diaris of Anne Frank 写真(ユネスコ ウェブサイト 英語)

 

2.登録国 オランダ

 

3.登録年 2009年

 

4.解 説

アンネ・フランクの日記は、第2次世界大戦中ドイツ占領下のオランダで、アムステルダムの隠れ家に隠れていたユダヤ人少女の日記です。1942年6月14日から1944年8月1日まで記録されており、関連する文書、引用、物語も登録対象となっています。

アンネ・フランクの書いたものは一個人の記録ですが、彼女の声は、もう話すことのできない無数の沈黙者を代弁する象徴となっています。第2次世界大戦中に何百万人というユダヤ人が苦しみの中で死んでいきました。アンネはアムステルダムの隠れ家という極めて耐え難い状況におかれていましたが、日記には楽観的な姿勢を失わず、日常の記録とともに思春期の少女が抱える典型的な問題も綴られており、アンネは戦時下の隠れ家という非日常的な状況の中で一少女としての日常を送っていたのです。

1929年にフランクフルトで生まれたアンネ・フランクは、ドイツ系ユダヤ人で中流家庭の2人姉妹の妹でした。1942年6月12日、13歳の誕生日にアンネは両親から赤と白のチェック柄の日記帳を贈られ、これがのちに象徴的な存在となっています。アンネの姉マルゴットに収容所への招集令状が届いたことを契機に、7月6日から父オットーの事務所がある2階の隠れ家で、フランク一家4人とほかの4人の計8人が潜伏生活に入ります。アンネの書いた自筆の日記は、「赤白チェックの日記帳」「紛失した2冊目の日記帳」「学校ノート代用の日記帳」「学校ノート代用の未使用分のある日記帳」「ルーズリーフ」「会計帳簿代用の警句集」の6種類あります。

綴られた日記からは、アンネ自身が戦争の大量破壊・大量殺戮に大きな懐疑を示すと同時に、総力戦における一般市民の重要性を認識し、人間の持つ破壊・殺戮の欲望がプロパガンダによって煽動されていることを見抜いていたと思われます。また、理想や夢、希望を持ちつつも、隠れ家の中という現実との狭間で苦悩するアンネの計り知れない心理に心打たれる日記でもあります。

1944年8月4日、隠れ家の8人は密告により逮捕され、その将来が無残にも断ち切られることになりました。4日後にオランダのヴェステルボルク捕虜収容所へ連行され、9月6日にはポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に移送されました。アンネの母は餓死し、その後アンネとマルゴットはベルゲン・ベルゼン収容所に移送されました。そして1945年3月にはマルゴットが病死し、アンネもその数日後に死亡しました。

戦争が終わり隠れ家の住人で唯一生き残ったオットー・フランクは、友人ミープ・ヒースからアンネの日記や文書を受け取ったのち、日記を編集し1947年6月25日に出版しました。

アンネの日記は、65ヵ国語に翻訳され、世界で2,500万部以上売れました。心を打つ彼女の物語は、長年にわたり多くの若者たちの共感を呼び、年間100万人以上がアムステルダムのプリンセスフラハト通りの隠れ家を訪れます。第2次世界大戦が終わって70年経ちますが、アンネの日記は、世界中の人びとが戦争、人種差別、ホロコーストの悲惨さなどについて考える一助となっているのです。

以 上