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「わかる国」「わからない国」という分けかた

そもそもね、「健常者は障害者に何かしなければいけない」なんてことはないのよ。映画のなかで、サーフィン大会に出場した茂が、呼び出しのアナウンスを聞き取れなくて失格になるというエピソードがあるんだけど、仲間たちも茂に教えてやるってことをしなかったのね。だけど次の大会では「君の番だぞ」って言うの。そうやってつきあいのなかで学習していく、それがとっても大事なことだと思うのよ。手話なんてできなくても、サーフィン仲間ならサーフィンでコミュニケーションできる。それ以上、何もいらないの。

 もちろん障害をもっている人たちにもパーソナリティがあるから、明るくコミュニケーションとれる人もいればそうじゃない人もいる。だから相手によっては自分の気持ちが伝わらないこともあるだろうけど、伝わらなければ伝わらなくたっていいのよ。言葉しゃべれる人間同士だって伝わらないことがあるんだから。それはね、「わかる国」と「わからない国」があるってことなのよ。

おすぎさん お料理もおんなじよ。わたしがつくったものを食べて「おいしい」って言ってくれる人もいれば、「まずい」って言う人もいる。「まずい」って言う人なら、それはわたしと同じ価値観を共有できる、つまり「わかる国」じゃないってこと。そういう「わかる国」「わからない国」っていう分け方はできるけど、「健常者だから」「障害者だから」という分け方はおかしいんじゃないかしら。だから障害者が全部、被害者になることはないし、コミュニケーションをうまくとれない人がいても気にすることないのよ。うまくコミュニケーションできる人を他で探せばいいんだから。そういう気持ちにならないと、これから福祉的な問題はとっても難しくなってしまうと思うわよ。「してあげる」とか「されてる」とか、今はそういうことばっかでしょう? 

理屈よりも「一緒に生きてく」という気持ちを

 家なんか身体障害者ばっかりだったからね、身内が。思いやるもやらないもやらなきゃしょうがなかった。ちょっと移動するにしても椅子を持って行ってあげないと、っていうのが当然だからね。だけど「いつか階段から蹴落としてあげる」と思ってたこともあるわよ。そりゃあ人間ですもの、いろんな感情があるでしょ? でもその気持ちを持ち続けるのか、刹那的に思うのかの違いなのよね。

 何にしてもそうなんだけど、身内が解放されないかぎり、この国から「障害者問題」というのはなくならないです。誰かひとりが背負うんじゃなくて、負担を等分にしなきゃ無理よね。さっきは「障害じゃなくて個性としてとらえて」って言ったけど、そう言うのは簡単よ。わたしだって「おすぎさんなんか、今は身内にそういう人がいないから、そんな極楽なこと言ってられるんです。現実は大変なんですよ」って言われます。だけど、やっぱりそんなふうに思わないでほしいの。しょうがないじゃない、つきあっていかなきゃならないんだから。もっと割り切らないとね。

 ピーコや仲間たちといっしょに、障害がある子どもたちの前でコンサートなんかをやってますけど、ずいぶん涙を流させてもらいましたよ。わたしたちが歌ったりお話したりすると、脳性マヒの子たちがたくさん声を出すの。そうしたらお母さんたちが首を絞めんばかりにして止めようとするのよ。わたしたちはわかったうえでやってるんだから、「大丈夫ですから、そのままにしておいてあげてください」って言うの。でももちろんお母さんたちの気持ちも痛いほどわかるから涙も出てくるのよ。だからといってね、特別扱いはしないの。困っていそうなら「手伝いましょうか?」って言うけど、「結構です」と言われればそれ以上は何もしない。人によってはわたしたちのことを冷たく感じるでしょうね。でも障害がある人の邪魔にならないようにすることが大事だと思うのよ。何かして欲しいっていう時には、障害者自身が言うんだから。

 一番いけないのは、「自分には障害はないけど、障害者に対してはこんなに理解があるのよ」っていう生き方をする人よ。そんなこと言わないで、一緒に生きてけばいいの。そして困っている人を見かけた時に、無視するような人間にならないこと。そういう社会にならなきゃいけないのよ。現実にはなかなか難しいことだけど、この映画にはそんな社会が描かれているのよね。

おすぎ
‘45年生まれ。阿佐ヶ谷美術学園デザイン専門部卒業。デザイナーの後、歌舞伎座テレビ室制作を経て、映画評論家となる。ラジオ番組で、ピーコとコンビを組んだのをきっかけに「おすぎとピーコ」として活躍。ラジオ、テレビの出演、講演、トークショー等の他に、新聞、雑誌、執筆などで活躍。「おすぎの大料理」(文化出版局)、「おすぎのいい映画見なさい1〜3」(芳賀書店)など、著書多数。 


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