「やっかいなもの」として捉えられがちな「障害者の性」ですが、人が人らしく生きるうえで、性の問題は避けて通ることはできません。「性に対する生の叫びを聞きたい」と『障害者の生と性の研究会』を主宰し、取材や『恋愛講座』などの支援活動を重ねてきた河原正実さんに、その過程で見えてきたこと・感じたことを話していただきました。
"役に立たない"ことなら、何もしない方がいい?
・・・障害がある人たちが性に目覚めても、本人も周囲も大変な思いをするだけだという「寝た子を起こすな」論が今も根強く言われているようですが、それに対して河原さんはどう思われますか?
僕たち研究会のメンバーも取材の過程でさんざん言われました。「マスターベーションをしたくても自分ではできない。ましてや恋愛やセックスなんてとんでもない。あなたたちは火をつけただけじゃないか。どうしてくれるんだ」と迫られるわけです。しかしどんなに迫られても、正直いってこれといった方法はありません。たとえば風俗という方法もありますが、そこへ連れて行ってあげることはできても、根本的な解決にはつながりませんよね。結局は「あなた自身が社会参加をして恋人を見つけていくより他はない。障害があろうとなかろうと、性を自分のものとして獲得するにはそういうプロセスしかないんだよ」という非常に苦しい、言い訳じみたことしか今も言えないというのが現状なんです。
・ ・・障害の有無に関わらず、最後は本人の魅力次第だということですか。
その問題は近くて遠い、そしてとても重い問題でしてね。確かにもてるヤツはもてるんです。嫁さんがいながら不倫のふたつもみっつもするというけしからんヤツもいるかと思えば、40歳で「なんでこの人に恋人がいないんだろう」という人もいる。昔は「三高」(高学歴・高身長・高収入)がもてはやされたりしたけど、今はそれだけでもてるわけではなさそうだし。そうなると結局はその人次第だということになる。だけどそれを言ってしまうと身も蓋もなくなってしまいますからね。
インターネットが発達したといっても、障害がある人はない人に比べれば、やっぱり入手できる情報量が少ないです。社会経験の場も限られているから、どう行動すればいいかもわからない。だからコミュニケーションのとり方や会話などを実際に体験しながら学ぶ『恋愛講座』のようなものが必要なんじゃないかということで、何度か講座を開いてきました。ところがこれが、ひとつ開くのにすごい手間暇がかかりましてね。募集すると圧倒的に男性が多いんですよ。だけどペアでないと成り立ちませんから、女性のボランティアを頼んで回るのが大変なんですね。「擬似恋愛だから、実際につきあわないといけないわけじゃないから、頼むよ」と頼み込んで参加してもらっても、講座が終わると毎日のように、ペアを組んだ男性から電話がかかってくる。それで僕たちが「どうしてくれるの?!」って怒られるんです。僕は「"あなたに魅力は感じません"って言ってやれ」と言うんだけど、「逆恨みされたらどうするの?」と言われて困りました。
これはやはり社会経験が少ないが故に起きる問題だと思うんです。「個人の問題だから」と放っておいては何も変わらないので、大変だけどこれからも恋愛講座や海外ツアーなどを企画していこうと考えています。
・ ・・"お膳立て"することに対する批判はありますか?
「ようやるなあ、あんたら」とか「ヒマやなあ」とは言われますが(笑)、批判はありません。それよりもやはり「セックスなんて知らなければ知らないですむものなのに、なぜわざわざ情報を与えるんだ」という批判の方が多いです。特に障害がある子どもをもつご家族の方にはかなり厳しく言われました。施設や病院のスタッフから「今でも精一杯なのに、これ以上どうしろと言うんだ。セックスの相手でもしろと言うのか!」と突っかかられたという経験も何度もあります。まだまだ古い福祉観、セクシュアリティ観をもっている人が多いですね。「障害があれば子どもを産めない。それなら生理のケアが大変だから子宮をとってしまえ」という子宮摘出問題が一時騒がれましたけど、それと同じ理屈です。「"役に立たない"ことなら、何もしない方がいい」という・・・。人間には、性も含めた全面発達が必要だと思うのですが。