大学卒業後は定時制高校の国語教師に。授業で使った教材にさまざまな性のあり方が描かれていたのがきっかけで、生徒たちにカムアウトした。「わざわざ言わなくても」と眉をひそめる人もいたが、本音と建前の使い分けをしない教師でありたかった。教室のすみで息をひそめているかもしれないゲイの生徒を、少しでも元気づけられたらという思いもあった。
──生徒たちに最初にカムアウトした時の反応はどうでしたか?
騒然としました(笑)。でも「この子たちなら大丈夫だろう」という信頼感があったから。実際、興味津々でいろいろ訊いてはきましたが、無責任に言いふらすことはありませんでした。
──もし、かつての平野さんのようにカムアウトを迷っている子がいたら?
周りの人間関係にもよりますよね。偏見に凝り固まっている人たちばかりだったら、差別的なことを言われたりしてつらいから、ちょっと考えちゃうでしょうね。
でもカムアウトって“踏絵”になるんですよ。ふだんは隠してる本音が出てきますから。
ぼく自身は、ぼくがゲイであることを知って離れていく人は、つきあう価値のない人だと考えています。そういう人が離れていくのは全然怖くない。好きな人に離れていかれたらしんどいかもしれないけど・・・。
離れていってしまう人については、「その程度の人とつきあってもしょうがない」と思ったらいいんです。そこで怖がっていても仕方ない。差別はされるほうじゃなくて、するほうに問題があるんやから。
ちゃんとつきあえる人かどうかを選べるという点では、カムアウトしたほうが楽だと思いますね。
──ゲイ・リブ(ゲイ解放運動)の立場で原稿執筆や講演をされていますね。最も伝えたいことは何ですか?
ゲイはある意味、ネタとして使っているのであって、「ゲイを差別するな」とか「同性愛者が生きやすい社会を」と主張したいわけじゃないです。要は、同性愛者を特別視する社会は、異性愛者も生きにくい社会だということです。
よく「いつから男を好きになったんですか?」「なんでゲイになったんですか?」と訊かれるんですけど、「あなたはいつから女(男)が好きなの?」「なんでヘテロ(異性愛者)になったの?」と訊き返すと、言葉につまる人が多い。当たり前だと思っていることが、実は思い込まされているだけだったり、何の根拠もなかったりすることって少なくないと思うんですよ。性に関することは特にね。
「男と女は番う(つがう・カップルになる)もの」「男は強引にでも女を引っ張っていけ」「女は男をたてるもんだ」・・・いろいろ言われてきたけど、こんな「役割」を押し付けられたら、男も女もしんどいでしょう。こうした「常識」は誰にとって都合がいいのか。同性愛者を特別視する前に、異性愛者が考えるべきことはたくさんある。そう言いたいんです。
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