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平野さん ゲイであることを理由に離れていく人はぼくにとって必要のない人 平野広朗さん
男らしくない自分に苦しんだ思春期
 

「自分は“男が好きな男”なんだ」。そう自覚したのは、高校1年の時だった。前の席に座っていた同級生の男子が気になって仕方ない。目は彼を追い続け、ラブレターを書きたいとも思った。しかし一歩踏み出す勇気は出ない。思い返せば小学校時代にも、苦しいほど執着した男の子がいた。同性に恋愛感情を抱く。自分のことを“俺”と言えず、「男の世界」をつくる同級生たちについていけない。「男は強く、たくましく」がよしとされる空気のなかで、そんな自分をもてあましていた。大学でも好きな人ができた。けれども「告白したら相手が壊れてしまうんじゃないか」と思うと、やっぱり言えなかった。大学3年の時、同性愛を対象にした雑誌を初めて手にする。自分以外にも少なからぬ同性愛者がいることに勇気づけられた。文通欄を通じて初めての恋人もできた。うれしくて、信頼を寄せる女友だちや妹に「“彼氏”ができた」と打ち明けたのがカムアウト(ゲイであることを公言すること)の始まり。以来、慎重に相手を選びながら、ゲイという「ありのままの自分」でいられる世界を広げていった。


──ゲイであることをカムアウトしたら、「男らしさ」にとらわれなくなりましたか?

 いや、カムアウトしてからもひきずっていました。乗り越えるきっかけになったのが、悩んでいるぼくに「おまえは男らしいよ」とゲイの友だちが言った言葉。それを聞いて、逆に「男らしいかどうかなんてどうでもいいや」と思えるようになりました。でもね、もともと完全に自分を否定してたわけじゃなくて、どこか自分に対する自負心みたいなものがあったんだと思う。彼の言葉がその自負心を刺激して、目覚めさせてくれたということなんでしょうね。

平野さん──自負心、ですか。自分のどんなところが好きですか?

 好きなところ、ないですよ(笑)。ただ、「自分がおかしいんじゃなくて、世間の言うてることがおかしい」という気持ちはどこかにあったのかなあ。

──平野さんが書かれる原稿には、物事を批判的に見つつ自分を振り返るという視点が貫かれていますね。それはゲイとして生きるなかで得たというより、もともとの性格ですか?

 中学時代から教師にいろいろ言うようになりましたね。中学時代、「男子は丸刈り」という校則があったんです。靴下やハンカチの色まで決められていた。そんな校則に納得できなくて、教師から生徒会長に立候補するよう推薦された時は「髪型自由化」を勝ち取ってやろうとひそかに決めていました。当選した後は、実際に運動”しましたよ。

──周りから浮きませんでしたか?

 浮いてたと思いますよ(笑)。でも周りを気にした記憶は全然ないですね。今もそうですけど。

──もともと少数派であることに対する恐れはない?

 ないですね。いじめられたことがないからね。勉強ができたというところで一目置かれていましたし。「ちょっと変わった人」と別格扱いはされるけど、痛い目には遭ってません。今は勉強ができてもいじめの対象になるから、ちょっとやりにくいかもしれないですね。

 
カムアウトは踏み絵。つきあう人は自分が選ぶ
 

大学卒業後は定時制高校の国語教師に。授業で使った教材にさまざまな性のあり方が描かれていたのがきっかけで、生徒たちにカムアウトした。「わざわざ言わなくても」と眉をひそめる人もいたが、本音と建前の使い分けをしない教師でありたかった。教室のすみで息をひそめているかもしれないゲイの生徒を、少しでも元気づけられたらという思いもあった。


──生徒たちに最初にカムアウトした時の反応はどうでしたか?

 騒然としました(笑)。でも「この子たちなら大丈夫だろう」という信頼感があったから。実際、興味津々でいろいろ訊いてはきましたが、無責任に言いふらすことはありませんでした。

──もし、かつての平野さんのようにカムアウトを迷っている子がいたら?

 周りの人間関係にもよりますよね。偏見に凝り固まっている人たちばかりだったら、差別的なことを言われたりしてつらいから、ちょっと考えちゃうでしょうね。

でもカムアウトって踏絵”になるんですよ。ふだんは隠してる本音が出てきますから。

ぼく自身は、ぼくがゲイであることを知って離れていく人は、つきあう価値のない人だと考えています。そういう人が離れていくのは全然怖くない。好きな人に離れていかれたらしんどいかもしれないけど・・・。
離れていってしまう人については、「その程度の人とつきあってもしょうがない」と思ったらいいんです。そこで怖がっていても仕方ない。差別はされるほうじゃなくて、するほうに問題があるんやから。

ちゃんとつきあえる人かどうかを選べるという点では、カムアウトしたほうが楽だと思いますね。

──ゲイ・リブ(ゲイ解放運動)の立場で原稿執筆や講演をされていますね。最も伝えたいことは何ですか?

ゲイはある意味、ネタとして使っているのであって、「ゲイを差別するな」とか「同性愛者が生きやすい社会を」と主張したいわけじゃないです。要は、同性愛者を特別視する社会は、異性愛者も生きにくい社会だということです。

 よく「いつから男を好きになったんですか?」「なんでゲイになったんですか?」と訊かれるんですけど、「あなたはいつから女(男)が好きなの?」「なんでヘテロ(異性愛者)になったの?」と訊き返すと、言葉につまる人が多い。当たり前だと思っていることが、実は思い込まされているだけだったり、何の根拠もなかったりすることって少なくないと思うんですよ。性に関することは特にね。

「男と女は番う(つがう・カップルになる)もの」「男は強引にでも女を引っ張っていけ」「女は男をたてるもんだ」・・・いろいろ言われてきたけど、こんな「役割」を押し付けられたら、男も女もしんどいでしょう。こうした「常識」は誰にとって都合がいいのか。同性愛者を特別視する前に、異性愛者が考えるべきことはたくさんある。そう言いたいんです。

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プロフィール
 

1955年愛知県生まれ21歳でゲイ・リブ(ゲイ解放運動)と出会い、刺激と影響を受ける。

大阪の定時制高校・国語教師。OGC(大阪ゲイ・コミュニティ)メンバー。異性愛を強制する社会に対して、ゲイの立場から批判する言論活動を行っている。

著書:『アンチ・ヘテロセクシズム』('94 パンドラ発行)共著:『ジェンダーと多文化』('97 明石書店)『<性の自己決定>原論―援助交際、売買春、子どもの性』('98 紀伊国屋書店)など。

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